判例データベース
T大学附属病院交通事故死事件
- 事件の分類
- 過労死・疾病
- 事件名
- T大学附属病院交通事故死事件
- 事件番号
- 鳥取地裁 − 平成18年(ワ)第124号
- 当事者
- 原告個人A
原告個人B
被告国立大学法人T大学 - 業種
- 公務
- 判決・決定
- 判決
- 判決決定年月日
- 2009年10月16日
- 判決決定区分
- 一部認容・一部棄却
- 事件の概要
- 被告は、平成16年4月に成立した国立大学法人であり、K(昭和44年生)は平成9年4月に医師免許を取得し、T大病院等で研修医又は勤務医として医療行為に従事した後、平成11年4月からY大学院博士課程に入学し、平成14年7月には必要な単位を全て取得し、平成15年4月からは県立病院で勤務することが決まっていた。Kは、平成14年10月21日から、T大病院第二外科においてアルバイトとして当直勤務に従事していた。
平成15年3月8日、Kは午前9時からD病院で当直のアルバイトをする予定であったが、前日夜にT大病院において緊急の手術が行われることになり、人手不足のため、Kは急遽当該手術に助手として参加した。手術は7日午後8時53分から8日午前4時05分にかけて行われ、Kは同手術終了後自動車を運転してD病院に向かったが、対向車線にはみ出し、対向直進してきた大型貨物自動車と正面衝突して、同日脳挫傷により死亡した。
Kの両親である原告らは、本件事故は、被告の安全配慮義務違反による過労が原因であるとして、被告に対し、逸失利益7116万7000円、死亡慰謝料3000万円、葬祭料150万円、弁護士費用1341万円、合計1億1607万7000円の損害賠償を請求した。なお、原告らは、平成20年4月22日、労災保険法に基づき、通勤途上災害の遺族一時金として3146万3000円、遺族定額特別支給金として300万円の支払いを受けた。 - 主文
- 1 被告は、原告らに対し、それぞれ1000万4500円及びこれに対する平成18年7月1日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。
2 原告らのその余の請求を棄却する。
3 訴訟費用は、これを5分し、その4を原告らの負担とし、その余を被告の負担とする。
4 この判決は、1項に限り、仮に執行することができる。 - 判決要旨
- 1 安全配慮義務について
安全配慮義務は、ある法律関係に基づいて特別の社会的接触関係に入った当事者間において、当該法律関係の付随義務として当事者の一方又は双方が相手方に対して信義則上負うところの、相手方の生命、身体、健康等を危険から保護するよう配慮する義務である。そして、Kは、被告と在学関係にあり、かつ、現実に被告設置のT大病院において診療行為に従事していたものであるから、Kと被告との間に安全配慮義務発生の基礎となる法律関係及び特別の社会的接触の関係があったことは明らかであり、被告の安全配慮義務の有無を検討する上で、Kが行っていた診療行為等の法的性質を論じる必要はない。本件においては、Kが従事していた業務の内容、業務に従事した時間、被告のKに対する指揮監督又は指導の実態等を検討し、具体的な安全配慮義務の内容を確定することが重要である。
2 Kが本件事故当時過労状態にあったか否か
本件事故前12週間に、Kが法定労働時間に相当する時間を超えて業務に従事していた時間は、1週間平均で40時間を超えており非常に長時間に及んでいる上、本件事故前の3ヶ月間で、完全に休みであったのは2月9日、12月23日及び同月8日の3日間のみであったこと、Kはほぼ毎週1、2回翌日に及ぶ当直業務に従事しており、当直明けである平日については通常通りT大病院で勤務していたことなどに鑑みると、Kの業務が従事時間を始めとする量的な面において過重なものであったことは明らかである。
他方、業務の質については、Tら大学院生が勤務医に比して、その責任において重い負担を担っていたとは考えにくいものの、医師としての医療業務そのものが、患者の生命、身体に直結する業務であり、誤診や誤施術が許されず、業務の遂行に緊張が伴い精神的負荷がかかること自体は、基本的に大学院生らも勤務医と変わるものではないこと、とりわけT大病院には高度の医療技術を要する患者が集まる傾向にあり、診療等を行う医師の精神的負荷は高かったと考えられること、大学院生らは一般的に勤務医に比して経験等に劣り、経験豊富な医師であればさほどの緊張を要しない医療行為であっても、精神的、肉体的に負荷がかかり得ること、T大病院における当直においては、大学院生らの負担は、少なくとも肉体的部分において勤務医よりもかなり重いものであったというべきことからすると、Kが行っていた業務の内容が質的に軽微であったということはできず、一般の社会人が従事する業務に比して責任と緊張の強いものであったことは明らかである。
そして、Kは上記のように過重な業務に継続して従事してきたことにより疲労が相当蓄積した状態にあったところ、本件事故前1週間においては、3月2日午前0時40分から午前7時25分まで手術業務に従事した後、同日から翌3日にかけてC病院で当直業務に従事し、引き続き4日午前0時19分までの間、T大病院で通常業務に従事し、5日から6日にかけてT大病院において当直業務に従事し、更に7日から8日にかけてT大病院において2件の手術に参加していたものであって、Kは極めて連続して業務に従事していた上、同日に徹夜の手術に参加した後仮眠を取ることもなく、D病院に向かうため自動車の運転を開始したものであって、Kは本件事故直前、極度に睡眠が不足し、過労状態にあったと認められる。
3 本件事故の原因について
本件事故の現場は、見通しの良い直線道路であり、平坦なアスファルト舗装で、乾燥していたのであって、通常の心身の状態であれば、対向車線にはみ出したまま進行するような運転操作をすることは考え難い状況であったということができる。ところがKは、自動車を対向車線に徐々にはみ出させ、進路を変更することなく対向車と正面衝突したものであり、かつT運転の自動車によるタイヤ痕も印象されていなかったのであるから、Kは本件事故直前、何らかの理由により、前方に迫った対向車と衝突する危険を認識しなかったか又は運転していた自動車の操作をない得ない状態に陥っていたものと推認される。Kは本件事故当時、極度に睡眠が不足し、過労状態にあったことからすると、本件事故は、Kが極度の睡眠不足及び過労のため居眠り状態に陥ったことが原因で発生したと認めるのが相当である。
4 安全配慮義務違反又は不法行為責任の有無について
上記のような分量、性質の業務を継続して行った場合、Kがいずれ極度の疲労状態に陥り、心身に異常を来たしたり、又は過労状態や極度の睡眠不足が原因で本件事故を発生させたりすることが起こり得ることは、業務に従事させていた被告において、十分予測することが可能であったということができる。そうすると、被告は、Kの指導官を通じて、Kが極度の過労状態に陥ることを予見し、Kの業務の軽減を図るなどの適切な措置を講じるなどにより、Kが極度の疲労状態、睡眠不足に陥ることを回避すべきことを具体的な安全配慮義務として負っていたというべきである。しかるに被告は、適切な措置を講じることなく漫然と放置し、Kを相当の長期間にわたり継続して過重な業務に従事させ、とりわけ本件事故直前1週間には極度の睡眠不足を招来するような態様で業務に従事させてKを過労状態に陥らせ、更に本件事故の前日である3月7日から8日にかけては、緊急手術及び学会の研究会の開催による人手不足という事情があったにせよ、D病院でのアルバイト当直が予定されていたKを徹夜の手術に従事させたものであって、被告には上記安全配慮義務に対する違反があったと認められる。そして、本件事故は、過重な業務による極度の睡眠不足又は過労のため居眠り状態に陥ったことが原因で発生したと認められ、被告の安全配慮義務違反と本件事故との間の因果関係も認められるから、被告はKに発生した損害を賠償する責任を負う。
5 損 害
Kは、死亡の翌月である平成15年4月から県立病院で医師として勤務することとなっていたのであり、死亡時の33歳から67歳までの34年間を通じて、平成15年度賃金センサス第3巻第4表男性医師の平均年収である1267万6900円の収入を得られる蓋然性があったと認められる。そして、生活費控除率を50パーセントとし、就業可能年数34年に相当するライプニッツ係数16.193を用いて中間利息を控除すると、Kの逸失利益は1億0263万円となる。
Kと被告との関係、被告の安全配慮義務違反の内容及び程度、本件事故の発生についてはKにも帰責性が認められること、Kの家族関係その他本件に顕れた一切の事情を考慮すると、Kの死亡慰謝料は2000万円と認めるのが相当である。葬祭料については、150万円をもって、被告の安全配慮義務違反と相当因果関係のある損害と認める。
一般に心身の状態は当人が最も良く把握することができ、特に医師であるKは、一般人に比してより正確に自己の心身の状態を把握し得たと考えられるところ、Kは、本件事故当日、極度の過労状態、睡眠不足であり、その状態で自動車を運転することの危険性を認識し得たということができる。そして本件事故当日、公共交通機関を利用して当直開始時刻までにD病院に赴くことは可能であったところが、Kは自らの判断で自動車を運転してD病院に赴いたものである。またKは、どの程度のアルバイト当直業務に従事することにより、どの程度の疲労状態になるかをある程度予測することが可能であったと考えられるところ、Kは自らの希望により報酬月額30万円に相当するアルバイト当直を続けていたものであり、K自身のアルバイト当直希望もKの疲弊を増大させたということができる。そうすると、本件事故の発生については、被告の安全配慮義務違反のみならず、Kの過失もまた原因となったことを否定することはできないところ、双方の義務違反又は過失の内容に鑑み、過失割合については、K6割、被告4割と認めるのが相当である。したがって、過失相殺により損害額の6割を控除すると、4965万2000円となる。労災保険の遺族一時金3146万3000円を過失相殺後の損害額から控除すると、残額は1818万9000円となる。弁護士費用は182万円をもって相当と認め、損害合計額は2000万9000円になるところ、Kの法定相続人である原告らが被告に対し賠償を求め得る金額は、それぞれ1000万4500円となる。 - 適用法規・条文
- 02:民法415条,民法418条,
- 収録文献(出典)
- 労働判例997号79頁
- その他特記事項
顛末情報
事件番号 | 判決決定区分 | 判決年月日 |
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