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大型タンカー船員心不全死事件
- 事件の分類
- 過労死・疾病
- 事件名
- 大型タンカー船員心不全死事件
- 事件番号
- 東京地裁 − 平成3年(行ウ)第144号
- 当事者
- 原告個人1名
被告全国健康保険協会 - 業種
- 公務
- 判決・決定
- 判決
- 判決決定年月日
- 1994年02月28日
- 判決決定区分
- 棄却
- 事件の概要
- A(昭和24年生)は、昭和43年に船舶の運航を業とするN社に入社して以来、同社所属の船員であり、当初は主として機関部員として稼働し、その後運行士となった。
Aは、平成元年1月7日からN社所有のタンカー高松丸(14万5635トン)に初めて運航士として乗船し、鹿児島県喜入港からアラビア湾に向けて出港した(本件航海)。高松丸乗船中におけるAの勤務時間は、日勤体制の場合は午前8時から午前12時までと午後1時から午後5時までであり、当直体制の場合は午前8時から午前12時までと午後8時から午後12時までであり、休日は概ね10日に1回の割合であり、休日をはさんで日勤体制と当直体制が入れ替わることになっていた。本件航海中におけるAの勤務時間はほぼ1日合計8時間であり、超過勤務日は3日だけであった。
高松丸における荷役作業は、主として石油積込みのためのパイプの接続の確認やバルブの開閉作業、漏油の有無やポンプの作動状況の点検、係留索の張り具合の調整等の作業であり、高松丸においては、バルブの開閉等は機械化されており、荷役作業といっても監視業務が中心で特に肉体的負担が大きいものではなく、3、4名交替で行われていた。
本件航海において、高松丸はアラビア湾に面する2港で原油を積載した後、平成元年2月9日から11日にかけてマラッカ海峡を通過した。同海峡は、航路が極めて狭隘で、かつ浅瀬等が多いことから、石油を満載したタンカーが通過する際には、挫傷等を避けるため注意深い操船を行う必要があり、船長が操船を行うこともあった。また同海峡付近には海賊が出没する危険海域があるため、高松丸ではその海域を通過する際には当直3名体制が維持されたが、この体制は同月12日未明に解除された。
高松丸では、同月12日午後5時30分から下船者の送別会が行われ、Aは同月14日が休みとされていた。Aは、同月13日午後8時から午後12時までの当直終了後、休みであった乗組員とビールを飲み、ゲームをしたり、ビデオを見たりして過ごし、翌14日の朝食には姿を見せなかった。Aは同日夕食にも起きて来なかったため、午後5時45分頃乗組員がAの居室に入ったところ、Aは既に死亡していた。
Aの妻である原告は、Aの死亡は職務上の事由によるものであるとして、平成元年3月16日、被告に対して、船員保険法による遺族年金の裁定請求を行ったが、被告は同年11月30日付けで遺族年金を支給しない旨の処分(本件処分)をした。原告は本件処分を不服として審査請求をしたが棄却されたため、本件処分の取消しを求めて本訴を提起した。 - 主文
- 1,原告の請求を棄却する。
2,訴訟費用は原告の負担とする。 - 判決要旨
- 1 業務起因性について
船員保険法による遺族年金は、被保険者等が職務上の事由又は通勤により死亡した場合に支給されるものであり、職務上の事由による死亡というためには、右職務と死亡との間に相当因果関係があることが必要であるというべきである。原告は、職務と死亡との間に合理的関連がある場合には補償されなければならない旨主張するが、船員保険法が労災保険制度の一環であり、保険給付の原資の多くを使用者の負担する保険料によって賄い、労働者の私生活の領域における一般的事由により生じた傷病等と区別して、職務に通常随伴する危険により生じた労働者の死亡等の損失を、使用者の過失等の有無を問わずに補償しようとしている現行法制度の趣旨に照らせば、船員保険法による補償の対象は、職務により生じた死亡等の損失に限られるというべきで、単に、職務に関連する死亡の全てを補償の対象とすることはできないから、原告の右主張は採用できない。
2 相当因果関係の有無
一般に急性心不全とは、急に心臓が全身に必要血液量を送り出すことができなくなった状態をいい、終局的に心臓が停止した結果を意味するにすぎないところ、死亡につながる特段の既往症等の基礎疾病の存在が認められない上、前記認定のような死亡状況であった本件においては、Aの急性心不全の原因疾病を明確に特定することは困難といわざるを得ない。
Aの職務は運行士として通常のものであり、その内容も特に肉体的・精神的な負荷が極めて大きいものとはいい難いこと、1日の勤務時間も概ね8時間程度であり、平成元年1月28日以降超過勤務はなかったこと、本件航海中には突発的な出来事はなかったこと等に照らせば、乗船業務の特殊性や不規則勤務による負担等を考慮しても、Aの職務が客観的にみて、休日や休息の時間等での休養で疲労回復ができないような内容のものとはいい難く、Aが特に労務の過重や身体の異常を訴えていなかったことに照らせば、職務がAにとって過重な内容で、過剰なストレスがあったということは困難といわざるを得ない。
なるほど、乗船業務はその閉鎖性等から陸上勤務と異なる負荷があることや、夜勤や交替制等の不規則勤務がより疲労が蓄積しやすい勤務形態であることは容易に推認し得るところではあるが、Aは長年船員として乗船業務を行っており、船での生活にはある程度慣れていたと考えられること、その乗船歴が特に過密と認めるに足りる証拠はないこと、高松丸においては、乗組員の居住スペース等が十分取られ、各種娯楽施設等も設置されるなど、リラックスして休養を取る環境は比較的整備されていること、夜勤を含む不規則勤務とはいっても、Aの当直時間はほぼ一定しており、午後当直は夜間ではあるが、午後8時から午後12時までと人間の生活パターンに比較的近く、日勤体制の場合との時間的な開差もそれほど大きいものとはいえないこと等に照らせば、このことをもって、直ちにAの職務が過重なものであったということはできない。
原告は、巨大タンカーに初めて乗船するAの経験の少なさによる職務の過重性や近代化船における職務自体の過重性を主張する。しかしながら、Aは高松丸以前にも近代化船に乗り組んだ経験があること、機関部の職務はもちろん、甲板部の職務についても以前に担当した経験があること、近代化船と在来船には仕事の内容には基本的には大きな相違はなく、設置機器の内容や位置、操作方法等を覚えてしまえば運行士としての職務の遂行に困難があるとはいえないこと、Aが特に機器の操作方法等の覚えが悪かったということはなかったこと等からすれば、乗船当初はともかく、その後は職務の不慣れによる過度の緊張状態が継続していたと推認することはできない。また、近代化船は在来船に比べて乗組定員が少なく、運行士は機関部と甲板部の職務を行うものではあるが、近代化船は各種設備、機器の自動化により、少数定員での運行が可能なように設計されており、個々の乗組員の職務の量的な増加を認めるに足りる証拠はなく、異なる部門の職務を担当することによる質的な相違はあるとしても、Aは、そのような職務を担当し得る資格を有し、経験もあることに照らせば、これをもって、その担当職務が肉体的精神的に過度の負担となったということはできない。
更に原告は、高松丸の航路の特殊性やマラッカ海峡通過時の職務の過重性を主張する。しかしながら、気候の特殊性や浮遊機雷の存在が特に肉体的精神的負荷を増大させたとは考え難いところであり、マラッカ海峡通過時の操舵業務は船長や一等航海士の具体的な指示に基づくものであり、当直要員も増員されていること、海賊対策も施錠を行う等の対策がとられる一方、それ以外に具体的な危険に対する特別な対策をとるということはなく、むしろ、当直外の乗務員は居室で睡眠を取ることが多かったことからみても、これによって船内の緊張状態が過度に高まっていたとはいえないこと等に照らせば、これがAに過度の緊張状態をもたらしたということもできない。
一般に突然死には種々の原因があり、いわゆる心臓急死についてみても、冠動脈硬化による心筋梗塞や狭心症、不整脈や大動脈疾患、あるいはポックリ病のようなものなどがあり、右疾病は、普段右疾病に至るような病的症状がなく、一見健康そうな人でも、突然これを発症して死亡するに至る場合があることは一般に認め得るところである。もとより、そうした疾患が過労により発症することはあり得るところであるが、Aの健康状態及び職務内容に照らせば、Aの急性心不全による死亡は、その職務と無関係に生じた可能性も十分あるといえ、Aの死亡が、その職務に起因して、あるいはその職務とAの何らかの基礎疾病が共働原因となったことに起因して生じたものと認めることは困難といわざるを得ない。そうすると、急性心不全の原因疾病を含むAの死亡とその職務との間には相当因果関係があると認めるには足りないといわざるを得ない。 - 適用法規・条文
- 99:その他船員保険法50条,
- 収録文献(出典)
- その他特記事項
- ・法律 船員保険法、労災保険法
顛末情報
事件番号 | 判決決定区分 | 判決年月日 |
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