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中央労基署長(漁船員)脳内出血死事件
- 事件の分類
- 過労死・疾病
- 事件名
- 中央労基署長(漁船員)脳内出血死事件
- 事件番号
- 東京地裁 − 昭和62年(行ウ)第69号
- 当事者
- 原告1名
被告中央労働基準監督署長 - 業種
- 公務
- 判決・決定
- 判決
- 判決決定年月日
- 1991年07月18日
- 判決決定区分
- 認容(控訴)
- 事件の概要
- A(昭和11年生)は、昭和51年3月以降八丈島に居住し、同島において、平素は大工として一般家屋の修理、船舶用品の製作・修理などをしたほか、自家用の畑作農業を行うなどしていた。Aは、昭和54年2月頃から、カツオ、マグロ漁の最盛期である2月頃から5月頃までに限って漁船に乗船し、カツオ、マグロを漁獲する業務に従事していた。
Aは、昭和57年1月、工務店の仕事に従事していたが、D丸(総トン数4.99トンの小型船)船主に頼まれてカツオ、マグロ漁に出漁するようになった。D丸の場合、船長と漁夫2名で出漁するのが原則で、船長は操船を担当するため、かかったカツオ等を船上に引き上げる作業は漁夫の役割であった。D丸に乗船していた時期のAは、午前4時には出漁し、日の出には漁場に到着し、日没まで漁をするのが原則であり、本格的カツオ漁をするようになってからは、帰港は午後8時ないし午後10時ころになることも稀ではなく、帰宅後食事をして就寝するのは、出漁日には通常でも午後11時を過ぎる状況であった。
同年3月9日、Aはクロマグロの漁の際、右手の示指と環指にかなり深い傷を負い、3針縫う治療を受けたが、その後も船長の依頼を受けて船に乗り続け、同年4月11日、D丸は前日の時化の影響が残っている海を、驟雨の中午前4時頃3人で出港し、午前6時30分頃漁場に到着したが魚群の発見に至らず、その後魚群の探索を行ったところ、午前10時30分頃魚群を発見したが、その時にはAはうつ伏せの状態で倒れていた。船長は直ちに陸と連絡をとった上、全速で港に船を向け、午前11時45分頃帰港し、Aは直ちに救急車で病院に搬送されて治療を受けたが、2日後の同月13日午後3時47分頃、高血圧性脳出血により死亡した。
Aの妻である原告は、Aの漁船における業務は過重であるばかりでなく、重傷を負いながら業務を行っており、その死亡は業務上の事由によるものであるとして、被告に対し、昭和57年5月10日、労災保険法に基づく遺族補償給付及び葬祭料の支給を請求したが、被告は、同年11月5日、これらの支給をしない旨の処分(本件処分)をした。原告は本件処分を不服として、審査請求、更には再審査請求をしたが、いずれも棄却の裁決を受けたため、本件処分の取消しを求めて本訴を提起した。 - 主文
- 1,被告が昭和57年11月10日付けでした労働者災害補償保険法に基づく遺族補償給付及び葬祭料を支給しない旨の処分を取り消す。
2,訴訟費用は被告の負担とする。 - 判決要旨
- Aの発症の基礎となった病態の有無、程度については、なるほど同人には脳出血のリスクファクターといえる高血圧傾向と動脈硬化の存在が推定される。しかし、検診における眼底検査でも動脈硬化度は0度、高血圧度は1度とされており、血圧測定値についても収縮期154,拡張期108であって、この検査値は後者が高いと評価される程度のものに過ぎず、高血圧症の度合いはさして高くないものと解される。他方、Aの業務及びそれによってもたらされた身体的、精神的負荷の内容、性質、程度、経過については、以下の通り極めて過重なものがあったと判断される。すなわち、まず、Aには、漁船に乗船して漁労に従事するようになった昭和57年1月16日の時点で、急激に著しい労働環境の変化があったものと考えられる。
Aが従事した外洋で行われる小型船による曳縄一本釣漁業での漁労は、大工仕事と比較すると、同じく外気にさらされて行う業務であるといっても、晴雨にかかわらず行われるのみならず、波浪のある外洋上での仕事であって、就労の場所的環境は全く異なり、その内容も厳しく、かつ長時間に及ぶもので、身体及び精神に対する負荷の程度は著しいものと解されるから、陸上での大工仕事から海上での漁労への仕事の変更は、同人にとって著しい労働環境の変化であったと考えられる。同人の漁労経験の程度は、季節的に2、3年乗船したことがあるというだけのもので、専業の漁師とは全く異なる体のものであって、かかる労働環境の急激で著しい変化は、Aの労働負荷を高める要因となったものと考えられる。
そして、それ以後従事した労働の内容についてみるに、極めて小型の漁船での労務が身体的・精神的負荷の大きい厳しいものであることに加えて、特にD丸の場合は、出漁頻度も高かったことから、これに乗り組む漁夫の労働による負荷は大きく、Aの労務も、主としてカツオを狙って出漁した場合には、1日の労働時間が極めて長時間にわたるのみならず、間に休日が入らないで連日出漁したときには、ほんの3、4時間程度の睡眠で続けて早朝から激しい労務に就いていたのであり、しかも漁獲量もかなりあったにもかかわらず、同僚の漁夫は休みがちで、同僚が休んだ場合には原則として同人1人で、漁夫2人の場合にひけを取らない漁獲量を上げるだけの労務に従事せざるを得ないことも多かった。また、クロマグロを主たる漁獲対象として狙って出漁した場合には、単価が著しく高額であるところ、漁のかかる頻度自体が低く、航行する探索の時間が長くなり、また対象漁がかかっても獲得作業には激しい身体的労作を要し、これを漁獲できないことも多いのであって、強度の身体的負荷が断続的に強いられるのみならず、断続的緊張状態による強度の精神的負荷も加わっていたものと解される。そして、Aが同船に乗船するようになって約1ヶ月後には同僚の漁夫が休む頻度も特に高くなり、同人の受けた負荷は一層強くなっていたものといえる。このようにして、それ自体としてかなり重い負荷を帯びた業務が2ヶ月近くも続いていたところ、Aは同年3月9日には手指に受傷したにもかかわらず、翌日から直ぐ漁労に従事し、従前同様の働きをしていたのであるから、その後の労働の身体的、精神的負荷が以前に増して大きいものであったことは明白である。
しかも、身体的労働負荷は、本格的カツオ漁に入った同年3月17日以来、累増して重いものとなり、本件直近10回の出漁時の総漁獲量は同等船中最も多く、特に本件発症の6日前から5日間連続して出漁し、5日前には、漁の取り込み作業だけでも、最低3、4時間程度、4日前には最低でも4、5時間程度、2日前には最低でも2時間程度の激しい労働をしていたことが認められるのであるから、労働の負荷が一層大きくなったことは明らかである。そして、Aはかような過重な労務の継続により疲労が蓄積した状態にあったところ、寒気が再来して寒さが厳しくなったその翌日である本件発症当日、午前3時頃冷気の中を起き出し、驟雨の中をD丸で出漁し、前日の時化の影響の残る外洋へ乗り出し、自ら初めての経験である舳先に乗っての魚群探索という、1本のロープを頼りに身体のバランスを保ちながら、海面付近を肉眼で凝視する、身体的・精神的に緊張を強いられる業務に就き、身体及び精神に一層過度の負荷を受け、遂に魚群を発見できないまま一旦単なる監視態勢に入って間もなく船長から魚群発見を知らされて、漁獲作業を開始しようとして緊張を高めた際に、本件脳出血を発症したものであり、しかも波しぶきのかかる船舷に横たわって、発症後1時間以上も揺られながら帰港し、結局2日後に死亡するという経過を辿ったものである。
以上のとおり、Aに認められる基礎的病態の程度は軽微である一方、本件業務及びそれによってもたらされた身体的・精神的負荷の内容、性質、程度、経過が極めて過重なものであったことからすると、Aの本件疾病は、高血圧傾向、動脈硬化という基礎的病態を背景として、昭和57年1月16日以来の厳しい労働環境の中にあって、累増する身体的・精神的負荷を受けて蓄積された疲労を高めつつ、発症数日前からの特に著しい負荷を相対的に有力な原因として発症したものと判断するのが相当である。そうすると、Aに対する本件業務による負荷と本件発症との間には相当因果関係があると認めるのが相当であるから、本件処分は取消しを免れない。 - 適用法規・条文
- 99:その他労災保険法7条,12条の8,16条の2、17条,
- 収録文献(出典)
- 判例タイムズ770188
- その他特記事項
- 本件は控訴された。・法律 労災保険法
顛末情報
事件番号 | 判決決定区分 | 判決年月日 |
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